金太郎との関係
- 2020/04/05
- 02:36

私、DATAのTADA(多田 惠藏)は、多田家の末裔と想定しております。
理由としては、両親が四国地方の生まれであることと、家には言い伝えがあり、名字由来Netで検索すると、四国地方に多田の性は多く、戦国時代に「多田」という武将がいないことから、清和源氏である源満仲(多田満仲)の血縁者の可能性が高いと考えました。
鎌倉時代に幕府が鎌倉にあったため、箱根には満仲の墓もあることから、多田家は関西から出向き、関東地方に頻繁に出入りしていたと思われます。
そのため、神奈川県秦野市には多田という名字の方が多く、鎌倉時代に広まったのではないかと想定いたします。遠い親戚なのかもしれません。
家系が有名であるならば、由来を調べることは簡単ですが、先日、話の切っ掛けで「金太郎」をWikiで調べることになりました。
歴史の中では「桃太郎、浦島太郎、金太郎」と、おとぎ話ででてくる有名人ですが、実在したのは「金太郎」だけです。
画面をスクロールしていると、なんと!足柄峠で源頼光と出会い、家来となっていたと記載されているではありませんか。
源頼光は、源満仲の息子ですから、先祖と金太郎に関係があったことに感動いたしました。高野山に満仲の墓があることから、空海にも関係しているようです。偉い人は、いろいろな場所にお墓をいっぱい造るのですね。あの世であっち行ったりこっちに行ったり大変じゃないのかな?なんて考えてしまいます。
源家は徳川家康の先祖でもある訳ですから、「あぁー金太郎じゃろ知っとるよ」という具合で、徳川家康も金太郎の事をご存知だったことになります。
それで足柄大橋を渡るとき、金太郎の銅像の前で何かを感じていたのかもしれません。AUの金ちゃんに親近感が湧きました。
もし血縁関係があったならば、私は40代目くらいになるのではないかと想定いたします。
思い返せば、社会人になった右も左も分からない(現在は上か下かがわからない)私を育ててくれた人々は、「佐藤氏」「佐々木氏」「松浦氏」「松本氏」皆、源氏に仕えていた武士の家系のようです。いろいろご迷惑をおかけいたしました。本来、時代が時代ならば「切腹」なのかもしれませんが、この場を借りて、「ありがとうございます。」風の噂に乗せてお礼を申し上げます。
ひょんなことから歴史の一幕を知る事になったのでした。

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